東北の酒造メーカーが次世代に技を継承する人材育成の仕組み——「百年の蔵」を守る人をどう育てるか
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東北の酒造メーカーが次世代に技を継承する人材育成の仕組み——「百年の蔵」を守る人をどう育てるか

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東北の酒造メーカーが次世代に技を継承する人材育成の仕組み——「百年の蔵」を守る人をどう育てるか

「杜氏の高橋が来年70歳になります。引退したいと言っている。でも、後を任せられる人間がまだ育っていない」

山形のある酒蔵の社長が、苦渋の表情で語った言葉です。創業150年。全国新酒鑑評会で何度も金賞を受賞した蔵です。その味を支えてきた杜氏が引退する。後継者がいなければ、150年の歴史が途絶えかねない。

東北は日本酒の名産地です。山形の「十四代」「出羽桜」、秋田の「新政」「雪の茅舎」、宮城の「伯楽星」「日高見」、福島の「飛露喜」「写楽」、岩手の「南部美人」、青森の「田酒」——東北の酒蔵が生み出す銘酒は、国内外で高い評価を受けています。

しかし、この酒造りの伝統を支える「人」の課題は深刻です。杜氏の高齢化、若手の蔵人不足、農繁期と酒造期の労働力調整——複数の課題が絡み合い、「技の継承」が危機に瀕しています。

酒造りの技術継承は、マニュアルを配って終わるものではありません。水の性質、米の出来、その年の気温と湿度——変数が多い中で最良の酒を生み出す判断力は、長年の経験と感覚の積み重ねによってしか身につかない。だからこそ、「人を育てる仕組み」を経営の中核に据える必要があるのです。


東北の酒蔵が直面する人材課題

東北の酒蔵が直面する人材課題には、いくつかの特殊な事情があります。

第一に、「季節雇用」の伝統。伝統的に酒造りは冬の仕事です。農閑期に農家が蔵人として働くのが東北の酒造りの形でした。しかし、この季節雇用の仕組みが崩れつつある。農家自体が減少し、冬場に蔵に来てくれる人が年々少なくなっています。

第二に、杜氏の高齢化。東北の酒蔵で杜氏を務める人の平均年齢は60代後半。70代の杜氏も珍しくありません。杜氏制度そのものが変化し、「社員杜氏」(蔵元の正社員が杜氏を務める)への移行が進んでいますが、技術の継承が追いついていない蔵も多い。

第三に、若者の酒蔵離れ。「酒蔵で働く」ことに憧れる若者は一定数いますが、実際の労働環境を知ると躊躇する人も多い。冬場の早朝からの重労働、高温の蒸し作業、低温の貯蔵庫での作業——体力的なきつさに加えて、給与水準が都市部の他業種と比べて低いことも、採用のハードルになっています。

秋田のある酒蔵(従業員20名)のデータです。蔵人の平均年齢は58歳。30代以下はわずか3名。5年後には、現在の蔵人の半数が引退年齢を迎える。一方、過去3年間の採用実績は合計2名。このペースでは、技術の継承が間に合いません。

この危機的状況に対して、「いい人が来てくれるのを待つ」のでは遅い。酒蔵が主体的に「人を育てる仕組み」を構築する必要があります。


酒造りの技術継承を「経営数字」で捉える

技術継承の必要性を蔵元(経営者)に伝えるとき、「伝統を守るために」だけでは不十分です。経営数字で語る必要があります。

福島のある酒蔵で試算した例です。

杜氏が引退し、後継者が十分に育っていない状態で酒造りを行った場合のリスク。品質のばらつきにより、特約店からの評価が下がる可能性がある。全国新酒鑑評会での受賞を逃すと、ブランド価値に影響する。最悪の場合、主力銘柄の味が変わり、ファン離れが起きる。

金額で見ると、この蔵の年商は3億円。主力銘柄が売上の60%(1.8億円)を占める。品質問題による売上減少を仮に10%と見積もっても、1,800万円の減収。20%なら3,600万円。杜氏の技術が直接的に年商の60%を支えているということは、杜氏の技術の「経済的価値」は少なくとも1億円以上あると言えます。

一方、後継者の育成にかかるコスト。若手蔵人を1名雇用し、杜氏の下で5年間育成する費用は、人件費(年間350万円×5年=1,750万円)と育成に伴う生産効率の一時的低下(年間約100万円×3年=300万円)を合わせて約2,050万円。

1億円以上の価値がある技術を守るために2,050万円を投資する。この投資対効果を見れば、技術継承への投資の妥当性は明らかです。


「暗黙知」の言語化——酒造りの「勘」をどう伝えるか

酒造りの技術の核心は、「暗黙知」にあります。麹室の温度管理、もろみの発酵状態の見極め、搾りのタイミング——杜氏の「五感」による判断が、酒の品質を左右します。

「麹の花が咲いたかどうかは、手で触ればわかる」「もろみの泡の形を見れば、発酵の進み具合がわかる」「搾る前に香りを嗅げば、酒の出来がわかる」——こうした感覚的な判断を、どうやって次世代に伝えるか。

宮城のある酒蔵で取り組んでいる「暗黙知の言語化プロジェクト」を紹介します。

このプロジェクトでは、杜氏の作業を3つの方法で記録しています。

第一に、「判断日誌」。杜氏が毎日の酒造りで下した判断を、その理由とともに記録する。「今日は麹室の温度を通常より1度下げた。理由は、外気温が高く、麹の繁殖が早すぎると判断したから」——こうした記録の蓄積が、判断基準の「見える化」につながります。

第二に、「動画アーカイブ」。杜氏の作業を動画で撮影し、杜氏自身のナレーション(何を見ているか、何に注意しているか)を入れる。特に、麹造り、もろみ管理、搾りの3つの重要工程を重点的に記録。

第三に、「数値化の併用」。温度計、湿度計、日本酒度計、酸度計などの計測器で数値を記録し、杜氏の感覚的判断と数値データを突き合わせる。杜氏が「ちょうどいい」と判断したタイミングの数値を蓄積することで、感覚の「翻訳」が少しずつ可能になります。

ただし、数値化には限界があります。杜氏の判断は、複数の変数を同時に考慮した総合的なものです。温度だけ、酸度だけでは再現できない。だからこそ、数値化は「補助ツール」であり、最終的には「人から人へ」の直接的な伝承が不可欠です。


「社員杜氏」育成の3段階モデル

東北の酒蔵で増えているのが、「社員杜氏」——蔵元の正社員が杜氏の役割を担うモデルです。季節雇用の杜氏に依存するリスクを減らし、通年での品質管理が可能になります。

社員杜氏の育成には、以下の3段階のモデルが有効です。

第1段階(1〜3年目):「蔵人」として基礎を学ぶ。洗米、蒸し、麹造り、もろみ管理、搾り——酒造りの全工程を経験する。この段階では、「作業の手順」を覚えることが中心。ベテラン杜氏の隣で作業し、「見て、やって、フィードバックをもらう」サイクルを繰り返す。

第2段階(3〜5年目):「製造責任者候補」として判断力を養う。工程の一部について、自分で判断を下す機会を与える。ただし、ベテラン杜氏が必ず確認し、フィードバックする。「あのとき、温度を下げた判断は正しかった。なぜなら……」「あのとき、もう少し待った方がよかった。なぜなら……」——こうした具体的なフィードバックの蓄積が、判断力を養います。

第3段階(5〜8年目):「社員杜氏」として独り立ち。酒造り全体の責任を持つ。ただし、完全に独立するのではなく、前任の杜氏が「顧問」として残り、相談できる体制を維持する。特に最初の2〜3造りは、重要な判断の前に顧問と相談できることが、品質リスクの軽減につながります。

山形のある酒蔵では、このモデルに従って7年かけて社員杜氏を育成しました。現在、30代の社員杜氏が全責任を持って酒造りを行い、全国新酒鑑評会で金賞を受賞しています。前任の杜氏は「顧問」として月に数回蔵を訪れ、若い杜氏の相談相手になっている。

この成功の鍵は、「8年間の育成を経営計画に組み込んだこと」です。「いつか誰かが育つだろう」ではなく、「何年目に何ができるようになり、何年目に独り立ちさせる」というタイムラインを明確にした。技術継承は、計画しなければ実現しません。


若手を惹きつける酒蔵の魅力づくり

技術継承のためには、まず酒蔵で働きたいと思う若者を集めなければなりません。東北の酒蔵が若手を惹きつけるために取り組んでいることを紹介します。

第一に、「通年雇用」の実現。冬だけの仕事ではなく、通年で働ける環境を整える。夏場は田んぼで酒米の栽培を行い、秋は原料処理、冬は酒造り、春は品質管理と出荷——こうした通年のサイクルを示すことで、安定した雇用としての魅力を伝えられます。

秋田のある酒蔵は、自社で酒米の田んぼを持ち、蔵人が米作りから酒造りまで一貫して携わる体制を作っています。「田んぼからグラスまで」——この一貫性が、「ものづくり」に強い関心を持つ若者の共感を呼んでいる。

第二に、「海外展開」というキャリアの可能性。東北の酒は海外でも人気が高まっています。海外の酒販店やレストランへの営業、海外の酒イベントへの参加——こうした国際的なキャリアの可能性を示すことが、グローバル志向の若者にとって大きな魅力になります。

岩手のある酒蔵では、入社3年目の社員をアメリカの酒イベントに派遣しました。「地元の岩手で造った酒が、ニューヨークのレストランで提供されている。その瞬間、自分の仕事に誇りを感じた」——この社員の言葉が、採用ページに掲載され、応募者の共感を呼んでいます。

第三に、「研究開発」の機会。新しい酒米の品種、新しい酵母、新しい醸造技術——酒造りには研究開発の要素があります。大学の醸造学科や農学部との共同研究に参加する機会を提供することで、「職人」だけでなく「研究者」としてのキャリアパスも示せる。

福島のある酒蔵は、福島大学の研究者と共同で地元の酵母の研究を行い、新しい銘柄の開発に成功しています。この研究に若手蔵人が参加することで、「科学的なアプローチで酒造りを進化させる」という知的な刺激を提供している。


酒蔵の「働く環境」を現代にアップデートする

酒造りは伝統的に厳しい労働環境で行われてきました。早朝4時からの作業、高温多湿の麹室、重い米の運搬——この「厳しさ」が美徳とされてきた面もあります。

しかし、若い世代を惹きつけ、定着させるためには、伝統を尊重しつつも労働環境を現代にアップデートする必要があります。

宮城のある酒蔵が取り組んだ環境改善です。

重労働の機械化。米の洗米・浸漬・蒸し・運搬の工程に、小型の搬送装置やリフトを導入。手作業で行う必要がある工程は残しつつ、機械で代替できる部分は機械化。腰痛のリスクが減り、女性でも無理なく作業できるようになった。

温度管理の可視化。麹室やもろみタンクの温度をIoTセンサーでモニタリングし、スマートフォンで確認できるようにした。夜間の見回りの負担が軽減され、異常があれば自動でアラートが飛ぶ。これにより、蔵人の睡眠時間が確保されるようになった。

勤務体制の見直し。朝4時始業を5時始業に変更。製造スケジュール全体を見直し、品質に影響を与えない範囲で始業時間を遅らせた。「朝の1時間で生活の質が全然違う」という蔵人の声。

休日の確保。繁忙期でも週1日の完全休日を保証。以前は「酒造り期間中は休みなし」が当然だった。休日を確保することで、体力的・精神的な回復が可能になり、結果として仕事の質も上がっている。

これらの環境改善にかかった費用は合計で約300万円。一方、若手蔵人の3年以内離職率が改善前の50%から20%に低下。1名の離職を防ぐことで、育成に投じた3年分のコスト(約1,000万円)を守ることができている。


蔵元の「経営力」と杜氏の「技術力」の融合

酒造りにおいて、蔵元(経営者)と杜氏(製造責任者)の関係は独特です。伝統的には、蔵元が経営を、杜氏が酒造りを担い、両者は独立した関係でした。しかし、現代の酒蔵経営では、この関係を再構築する必要があります。

「いい酒を造る」ことと「酒蔵を経営する」ことは、本来、一体の営みです。どんなにいい酒を造っても、売れなければ蔵は続かない。売上を追求するあまり品質を犠牲にすれば、長期的にはブランドが毀損する。

青森のある酒蔵では、蔵元と杜氏が毎月「経営と醸造の合同ミーティング」を行っています。蔵元が売上データ、顧客の反応、市場動向を共有し、杜氏が製造の進捗、品質データ、原材料の状況を報告する。

このミーティングで何が生まれるか。「今年は辛口の需要が伸びている」と蔵元が言えば、杜氏は翌年の仕込みに反映する。「今年の米は硬めだから、いつもより吸水時間を長くする」と杜氏が言えば、蔵元はスケジュールの調整を承認する。

経営数字と醸造技術の対話。これが、東北の酒蔵が持続的に成長するための鍵です。そして、次世代の社員杜氏には、この「対話力」——経営の言葉と醸造の言葉の両方を理解する力——が求められます。


東北の酒蔵ネットワークで共に学ぶ

技術継承は、一つの蔵だけの努力では限界があります。東北の酒蔵同士のネットワークを活用し、共に学ぶ仕組みが広がっています。

山形県では、県内の若手蔵人が集まる「山形蔵人の会」があり、年に数回の勉強会と情報交換を行っています。他の蔵の酒を試飲し、製造方法について議論する。「うちではこうしている」「あの工程はこう改善した」——同業者同士の率直な情報交換が、技術力の底上げにつながっている。

秋田県では、県の工業技術センターが酒造りの研修プログラムを提供しています。若手蔵人が微生物学や化学の基礎を学び、酒造りの「なぜ」を科学的に理解する機会になっている。

東北全体では、東北六県の蔵人が集まる合同研修も開催されています。異なる風土、異なる水質、異なる酒米——多様な条件で酒造りに取り組む同世代の蔵人と交流することで、視野が広がり、自分の蔵の酒造りを客観的に見つめ直す機会になります。

こうしたネットワークは、人材の確保にも効果があります。「東北の酒蔵で働く若者がこんなにいる」「みんな熱意を持って酒造りに取り組んでいる」——その姿を発信することが、次世代の蔵人候補を引きつけるのです。


百年先も東北の酒を届けるために

東北の酒蔵が直面する技術継承の課題は、単なる「人不足」ではありません。百年以上の歴史を持つ酒蔵の「文化」と「技」を、次の百年に届けられるかどうかという、地域の文化そのものの持続性に関わる問題です。

技術の継承は、待っていても起きません。計画的に、意図的に、投資を伴って取り組む必要があります。そして、その投資は経営数字で十分に説明できるものです。

東北の酒蔵が百年先も銘酒を届け続けるために、「人を育てる」という最も大切な仕事に、今こそ本気で取り組む時です。


もし「酒蔵の人材育成を含め、経営に貢献する人事の力を高めたい」と感じたなら、人事のプロ実践講座への参加を検討してみてください。

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