
東北の温泉旅館・観光業が通年で人材を確保する仕組み——「冬だけ忙しい」を超える経営と人事の知恵
目次
東北の温泉旅館・観光業が通年で人材を確保する仕組み——「冬だけ忙しい」を超える経営と人事の知恵
「繁忙期は人が足りず、閑散期は人を抱えきれない。この繰り返しなんです」
山形の蔵王温泉にある旅館の女将から聞いたこの言葉は、東北の温泉旅館・観光業の人材問題を端的に表しています。
東北は、乳頭温泉、銀山温泉、蔵王温泉、秋保温泉、鳴子温泉、飯坂温泉——全国に名を知られた温泉地が数多くあります。しかし、その温泉旅館で働く人材の確保は年々難しくなっている。特に「通年で安定した雇用」を実現することが、最大の課題です。
この課題に対して、「うちは観光業だから仕方ない」と諦めている経営者に私が伝えたいのは、「季節性は制約ですが、乗り越えている旅館は確実にある」ということです。そして、その旅館に共通しているのは「人事の仕組み」があることなのです。
東北の温泉旅館・観光業が直面する人材の二重苦
東北の温泉旅館・観光業の人材問題は、「量」と「質」の両面で深刻化しています。
まず「量」の問題。東北の旅館業の従業員数は、この10年で約20%減少しているとされます。若い世代が宿泊業を敬遠する傾向が続いていることに加え、コロナ禍で離職した人材が他業界に流出し、インバウンド回復後も戻ってこないケースが多い。
次に「質」の問題。温泉旅館のサービスは「おもてなし」という高度な接客スキルが求められます。料理の提供、部屋の準備、お客様への気配り——こうした技術は一朝一夕には身につかない。にもかかわらず、人手不足の中で十分な教育期間を設けられず、サービス品質の低下を招いているケースがあります。
さらに、東北の温泉旅館には季節性の問題が加わります。冬のスキーシーズンや紅葉シーズンは満室が続く一方、春から初夏にかけては稼働率が大きく落ちる。この波に合わせて人員を調整しようとすると、「繁忙期だけのアルバイト」に頼らざるを得なくなり、サービス品質が安定しない。
この二重苦を構造的に解決するには、「人を季節に合わせる」のではなく、「事業を通年で回る形に変える」という発想の転換が必要です。
通年雇用を実現するための「事業の多角化」
通年で人材を確保するための最も根本的なアプローチは、通年で仕事がある状態を作ることです。つまり、閑散期の売上を作る事業の多角化です。
秋田のある温泉旅館は、閑散期の収益を確保するために3つの事業を追加しています。
第一に、ワーケーション対応の滞在プラン。温泉旅館の客室にWi-Fiと作業デスクを完備し、「仕事+温泉+食事」のパッケージを平日限定で販売。首都圏のリモートワーカーをターゲットにしたこのプランは、従来の閑散期だった4〜6月の稼働率を20%向上させました。
第二に、地元企業向けの研修・合宿プラン。旅館の宴会場を研修会場として提供し、宿泊+食事+研修スペースのセット料金を設定。地元の中小企業の管理職研修や新入社員研修に使われており、特に4〜5月の需要を取り込んでいます。
第三に、日帰り温泉+食事のランチプラン。宿泊客が少ない日に、地元住民向けのランチと温泉入浴のセットプランを提供。「地元の人に愛される旅館」になることで、口コミでの宣伝効果も得られている。
これらの事業追加による売上増は年間約2,000万円。この売上が、通年での正社員雇用を可能にしている。人件費の固定費化を支えるだけの事業基盤があるからこそ、「通年雇用→人材の安定確保→サービス品質の向上→リピーター増→売上安定」という好循環が生まれるのです。
事業の多角化は、経営戦略の話です。でも、その起点にある問いは「どうすれば良い人材を通年で抱えられるか」という人事の問いなのです。人事と経営は、こうしてつながっている。
「マルチスキル人材」の育成が旅館の生産性を変える
通年雇用を実現するもうひとつの鍵は、「一人が複数の業務をこなせる」マルチスキル人材の育成です。
温泉旅館の仕事は多岐にわたります。フロント、客室清掃、調理補助、配膳、売店、予約管理、送迎——これらの業務を、それぞれの専門スタッフが担当するのが従来のやり方でした。
しかし、人数が限られる中小規模の旅館では、一人が複数の業務を担えるようになることで、シフトの柔軟性が大幅に上がります。
山形のある温泉旅館では、全スタッフに3つ以上の業務スキルを身につけることを目標にしています。フロント担当者が調理補助もできる。客室清掃のスタッフがフロント対応もできる。配膳スタッフが予約管理もできる。
この「マルチスキル化」を進めるために、年間の育成計画を立てています。4月から6月の閑散期を「スキル習得期間」と位置づけ、普段担当しない業務のOJTを集中的に行う。たとえば、フロント担当のAさんが、4月は調理場で朝食の仕込みを学ぶ。5月は客室清掃の技術を覚える。6月は予約管理システムの操作を習得する。
閑散期に育成、繁忙期に実践——この年間サイクルで、2年後には全スタッフが3つ以上の業務をこなせるようになりました。
その結果、繁忙期のスポットアルバイトの人数を半分に減らすことができた。アルバイトの採用・教育コストを年間で約200万円削減。しかも、正社員がほぼすべての業務をカバーできるため、サービス品質のばらつきが減り、口コミ評価が向上した。
マルチスキル化は、スタッフにとってもメリットがあります。「同じ仕事の繰り返しで飽きる」という不満が減り、新しいスキルを覚えることへの達成感が定着率の向上につながっているのです。
外国人スタッフとの協働——インバウンド対応の切り札
東北の温泉旅館にとって、インバウンド観光客の増加は大きなビジネスチャンスです。しかし、外国語対応ができるスタッフの確保が課題となっています。
この課題に対して、外国人スタッフの採用に積極的に取り組む旅館が増えています。ただし、「人手が足りないから外国人を入れる」という発想では、うまくいきません。
宮城の秋保温泉にある旅館では、ネパール出身のスタッフを3名雇用しています。この旅館の特徴は、外国人スタッフを「通訳要員」としてではなく、「旅館の一員」として育成していること。
入社後3ヶ月間は、日本語の接客用語の研修と並行して、日本の旅館文化——お辞儀の角度、布団の敷き方、料理の配膳の順序——を丁寧に教える。教える側はベテランの仲居さん。最初は言葉の壁がありましたが、「やって見せて、一緒にやる」という方法で、3ヶ月後にはほぼ一人前の接客ができるようになったそうです。
興味深いのは、外国人スタッフの存在がインバウンド対応だけでなく、日本人スタッフの意識変革にもつながっていること。「自分たちが当たり前にやっていたことを言葉で説明する」必要が生じたことで、接客の「型」が言語化された。その結果、日本人の新人教育も効率化された。
外国人スタッフ3名の採用と教育にかかる追加コストは年間約150万円。一方、インバウンド客の宿泊単価は平均で日本人客より30%高い。外国人スタッフの存在でインバウンド対応の質が上がり、年間のインバウンド売上が約500万円増加した。投資対効果は十分に合っています。
「おもてなし」の技術を数値化する試み
温泉旅館のサービス品質は、長らく「女将の目」や「ベテランの経験」に依存してきました。しかし、人手不足の中でサービス品質を維持するには、属人的な管理から仕組みによる管理への転換が求められます。
福島の飯坂温泉にある旅館では、サービスの品質を「数字」で管理する取り組みを始めています。
具体的には、以下の5つの指標を毎月トラッキングしています。口コミサイトの評価点の平均値。チェックイン時の待ち時間(目標は5分以内)。客室の清掃品質スコア(チェックリストに基づく10点満点)。料理の提供タイミングの誤差(目標は予定時刻から3分以内)。お客様からのクレーム件数。
これらの数字を月次で経営者とスタッフ全員に共有し、改善点を議論する。「先月は料理の提供タイミングの誤差が平均7分だった。原因は配膳動線の非効率。来月は動線を見直して5分以内を目指す」——こうした具体的な改善サイクルを回しています。
この取り組みの効果は、口コミ評価の向上として表れています。導入前の平均評価が4.1だったのが、1年後には4.4に。この0.3ポイントの差は、予約率に大きな影響を与えます。口コミ評価4.0と4.5では、オンライン予約の転換率に約20%の差があるとも言われています。
サービスの数値化は、スタッフの評価にも活用できます。「笑顔で接客しましょう」という曖昧な目標ではなく、「チェックイン待ち時間を5分以内にする」「料理提供の誤差を3分以内にする」という具体的な目標があれば、スタッフも何を頑張ればいいかが明確になります。
地域の魅力と一体化した採用メッセージ
温泉旅館で働く人を採用するとき、仕事の内容だけを伝えても十分ではありません。「この温泉地で暮らす」という生活全体の魅力を伝えることが、採用の成否を分けます。
銀山温泉にある旅館は、採用ページに「銀山温泉で暮らすということ」というコーナーを設けています。そこには、スタッフの休日の過ごし方、四季折々の温泉地の風景、地元の食の豊かさ、住居費の安さ——生活のリアルが描かれています。
「冬は雪深いけれど、仕事が終わった後の温泉が最高です」「スーパーは車で20分かかるけれど、地元の農家さんから新鮮な野菜をもらえます」「東京での満員電車の毎日と比べたら、ここでの暮らしは心が穏やかです」——こうしたスタッフの声が、都市部で消耗している若者の心に響いています。
この旅館には、毎年2〜3名、首都圏から「この場所で働きたい」と応募してくる人がいるそうです。しかも、地域の暮らしに共感して来ているため、定着率が高い。「温泉地の生活を丸ごと楽しめる人」が集まるので、お客様へのおもてなしにも心がこもる。
採用メッセージを「仕事の条件」だけでなく「暮らし全体の提案」として設計する。これは、温泉旅館の採用において特に効果的なアプローチです。
閑散期を「教育の季節」に変える
前述のマルチスキル化とも関連しますが、閑散期の活用法をもう少し掘り下げてみます。
東北の温泉旅館にとって、閑散期は「稼げない時期」です。でも、見方を変えれば「投資できる時期」でもある。特に人材育成への投資は、閑散期こそが最適なタイミングです。
鳴子温泉のある旅館では、閑散期に以下のプログラムを実施しています。
接客スキルの振り返り研修(ロールプレイング形式)。他の温泉地への視察研修(競合調査とサービスのヒント収集)。調理技術の向上研修(地元の食材を使った新メニューの開発)。語学研修(英語と中国語の基礎会話)。経営数字の共有会(売上、コスト、利益の構造をスタッフ全員で理解する)。
特に最後の「経営数字の共有会」は、私が強くお勧めしている取り組みです。旅館のスタッフは、自分たちの仕事がどのくらいの売上を生み出し、どのくらいのコストがかかっているかを知らないことが多い。「1泊2食付きの宿泊料金のうち、食材費がいくら、人件費がいくら、光熱費がいくら」——こうした内訳を知ると、スタッフの仕事に対する意識が変わります。
「電気をこまめに消す」「食材のロスを減らす」「予約のキャンセル対応を丁寧にやる」——経営の数字を知ったスタッフは、こうした行動を「言われたからやる」のではなく、「経営に貢献するためにやる」ようになる。
閑散期を教育の季節にすることで、繁忙期のパフォーマンスが上がる。この循環が、通年でのサービス品質と人材定着を支えるのです。
旅館業の人事は「経営の真ん中」にある
東北の温泉旅館は、その多くが家族経営や小規模法人です。「人事制度」という言葉に馴染みがない経営者も多いでしょう。
でも、旅館業は本質的に「人」のビジネスです。建物や温泉は重要ですが、お客様の満足度を最終的に決めるのは「人」の接客です。つまり、旅館業において人事は経営の真ん中にあるのです。
人材の確保と育成を「経営課題」として位置づけ、数字で検証し、仕組みで回す。それが、東北の温泉旅館が通年で良い人材を確保し、持続的に成長するための道筋です。
東北の温泉地には、何百年もの歴史を持つところがあります。その歴史を次の世代につなぐためにも、「人を大切にする経営」と「経営を支える人事の仕組み」の両輪が不可欠です。
もし「旅館・観光業を含め、経営と人事をつなぐ力を身につけたい」と感じたなら、人事のプロ実践講座への参加を検討してみてください。
また、旅館・観光業の人事に取り組む仲間とつながりたい方は、人事図書館へ。
関連記事
経営参画・数字東北の企業が「人事と経営の定例ミーティング」を設計する方法——「人事は報告するだけ、経営は聞くだけ」の関係を超える
経営会議で人事の報告をするんですが、いつも最後のおまけみたいな扱いです。売上の報告が終わった後に、人事からは何かある?と聞かれて、採用状況を30秒で報告して終わり。これでは人事が経営に貢献しているとは言えません
経営参画・数字東北の中小企業が「働きがい」と「働きやすさ」を両立させる方法——どちらか一方では、人は残らない
うちは残業も少ないし、有給も取りやすい。でも、若手がこの会社にいても成長できないと言って辞めていくんです
経営参画・数字東北の中小企業がワークライフバランスを経営成果につなげる方法——「休ませる」ではなく「活かす」発想
ワークライフバランスって、要するにもっと休めということでしょう?うちみたいな中小企業で、そんな余裕はありませんよ
経営参画・数字東北の企業が人事データ活用を始めるための第一歩——Excelから始める「数字で語る人事」
人事データ活用って、大企業がやることでしょう?うちみたいな50人の会社には関係ないですよ