
東北の介護・福祉施設が「選ばれる職場」になるための人事施策——待遇改善だけでは人は来ない
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東北の介護・福祉施設が「選ばれる職場」になるための人事施策——待遇改善だけでは人は来ない
「給料を上げたのに、応募が増えない。何がいけないんでしょうか」
山形のある特別養護老人ホームの施設長から、こんな相談を受けました。処遇改善加算を活用して月額3万円の賃上げを実施。近隣の施設と比べても遜色ない水準にした。にもかかわらず、求人への応募は増えなかった。
東北は全国でも高齢化率が高い地域です。介護・福祉のニーズは増え続ける一方で、それを支える人材が圧倒的に不足している。この需給ギャップは、今後さらに広がる見通しです。
しかし、私が500社以上の人事に関わってきた経験から言えることがあります。介護・福祉の人材不足は、「給料が安いから人が来ない」という単純な問題ではありません。待遇は必要条件であっても、十分条件ではない。求職者が本当に求めているのは、「この職場で働き続けたい」と思える環境なのです。
介護・福祉人材が「辞める本当の理由」を知る
介護・福祉の離職理由を調べると、興味深い事実が見えてきます。
離職理由の上位に挙がるのは、「給与への不満」ではありません。「職場の人間関係」「理念や運営方針への不満」「将来の見通しが持てない」——こうした「お金以外の理由」が、実は離職の主因なのです。
ある宮城の介護施設では、過去3年間の退職者全員に匿名のアンケートを実施しました。その結果、退職理由のトップ3は以下の通りでした。
第一位が「直属の上司との関係」。第二位が「業務量の偏り(特定のスタッフに負荷が集中している)」。第三位が「スキルアップの機会がない」。
給与への不満は第五位でした。つまり、この施設で人が辞める主な理由は、待遇ではなく「働く環境」にあったのです。
この調査結果は、対策の方向性を根本的に変えます。「給料を上げれば人が来る」ではなく、「働く環境を整えれば人が定着する」。そして、定着率が上がれば、常に求人を出し続ける必要がなくなり、結果として採用コストも下がる。
定着と採用は表裏一体です。採用に苦戦している施設は、まず「今いる人が辞めない環境」を作ることから始めるべきなのです。
「選ばれる職場」の条件1——管理職の質が組織の質を決める
離職理由の第一位が「直属の上司との関係」であることは、裏を返せば「管理職の質が組織の質を決める」ということです。
介護・福祉の現場では、介護技術が優秀な人がそのまま管理職に昇進するケースが多い。でも、「介護が上手い人」と「マネジメントが上手い人」は別の能力です。優秀な介護職員が管理職になった途端、部下との関係がうまくいかず、チーム全体のパフォーマンスが下がる——こうした例は珍しくありません。
岩手のある介護施設では、管理職候補者向けの「マネジメント研修」を年2回実施しています。研修の内容は、「1on1面談の技術」「フィードバックの出し方」「業務の配分と負荷の平準化」「コンフリクトの対処法」——介護の技術ではなく、「人を動かす技術」を学ぶ場です。
この研修を導入して2年後、管理職が担当するチームの離職率が平均で30%低下しました。研修にかかる費用は年間約50万円。一方、離職1名あたりのコスト(採用、教育、引き継ぎ)は約100万円。3名の離職を防げれば、投資は十分に回収できます。
管理職の育成は、「選ばれる職場」を作るための最もレバレッジの高い投資です。
「選ばれる職場」の条件2——キャリアパスを「見える化」する
介護・福祉業界で働く人の多くが抱えている不安は、「この先、どうなるんだろう」という将来への見通しです。
「ずっと現場で同じ仕事を続けるのか」「管理職になるしか道はないのか」「10年後の自分の姿がイメージできない」——こうした不安が、離職の引き金になることが多い。
秋田のある介護施設グループでは、「キャリアパスマップ」を作成して全職員に公開しています。そこには、介護職からスタートして以下のキャリアが示されています。
現場スペシャリストコース:介護福祉士、認定介護福祉士、認知症ケア専門士などの専門資格を取得し、ケアの質を極める道。マネジメントコース:リーダー、フロア長、施設長と、管理職としてキャリアを積む道。相談援助コース:社会福祉士やケアマネジャーの資格を取得し、相談業務にシフトする道。教育・研修コース:新人教育やスタッフ研修を担当する、教育のプロとしての道。
それぞれのコースについて、「何年目で何ができるようになるか」「どんな資格が必要か」「給与はどう変わるか」が具体的に示されている。
このキャリアパスマップの導入後、入社3年以内の離職率が40%から22%に低下。「自分の将来が見えるようになった」「目標ができた」という声が多く聞かれるようになったそうです。
キャリアパスの「見える化」は、費用のかかる施策ではありません。紙1枚にまとめるだけでもいい。大事なのは、「この施設で働き続ければ、こういう成長ができる」という希望を示すことです。
「選ばれる職場」の条件3——業務負荷の「見える化」と平準化
介護・福祉の現場では、「できる人に仕事が集中する」現象がよく起きます。特定のスタッフに夜勤が偏る、特定のスタッフが難しい利用者の対応を任される——こうした負荷の偏りは、燃え尽き症候群と離職の温床です。
福島のある介護施設では、スタッフの業務負荷を「数字」で見える化する取り組みを始めました。
具体的には、以下の指標を月次でトラッキングしています。各スタッフの夜勤回数。担当利用者の介護度の分布(重度の利用者が特定のスタッフに偏っていないか)。時間外労働の時間。有給休暇の取得率。
これらのデータを一覧表にして、施設長と主任が毎月確認する。偏りが見つかれば、翌月のシフト作成時に調整する。
この取り組みの効果は大きかった。「なんとなく不公平だ」と感じていたスタッフの不満が、「データに基づいて公平に配分されている」という安心感に変わった。不満の解消は、定着率の向上に直結します。
業務負荷の平準化は、「人にとって良い」だけでなく、「経営にとっても良い」取り組みです。なぜなら、特定のスタッフが疲弊して離職すると、そのスタッフが担当していた業務が残りのスタッフにさらに集中し、連鎖離職を引き起こすリスクがあるからです。負荷の平準化は、この悪循環を断ち切る手段なのです。
「選ばれる職場」の条件4——ICT活用で「ケア以外の業務」を減らす
介護・福祉の現場では、記録業務、情報共有、書類作成——いわゆる「間接業務」が膨大な時間を占めています。ある調査によると、介護職員の勤務時間の約25%が記録や書類作成に費やされているそうです。
この間接業務を減らすことは、「スタッフがケアに集中できる環境」を作ることであり、「選ばれる職場」の重要な条件です。
宮城のある介護施設では、タブレット端末による記録システムを導入しました。従来は手書きで介護記録を作成し、それをパソコンに転記していた作業が、タブレットへの直接入力に変わった。音声入力機能も活用し、「○時○分、Aさんの食事介助完了。摂取量は8割」と話しかけるだけで記録が完了する。
この導入により、記録業務にかかる時間が1日あたり平均45分短縮されました。スタッフ20名の施設で、年間に換算すると約3,600時間。この時間を利用者とのコミュニケーションやケアの質の向上に充てられるようになった。
ICT導入にかかった初期費用は約200万円(タブレット端末20台とソフトウェア)。年間の時間削減効果を人件費に換算すると約400万円。2年目以降はランニングコストのみ(年間約50万円)ですから、投資回収は1年以内です。
大切なのは、ICTを「人を減らすための道具」ではなく、「人がケアに集中するための道具」として導入すること。この説明の仕方で、スタッフの抵抗感は大きく変わります。
「選ばれる職場」の条件5——地域とのつながりを職場の魅力にする
東北の介護・福祉施設には、地域密着型が多い。この「地域とのつながり」は、職場の魅力として活かせます。
青森のある小規模多機能型居宅介護施設では、地域の行事への参加、地元の小学校との交流、近隣の農家との連携(利用者と一緒にりんごの収穫体験)など、地域と一体となった活動を積極的に行っています。
スタッフの中には、「介護の技術だけでなく、地域とのつながりの中で仕事ができることが楽しい」と語る人が多い。「閉じた施設の中だけで仕事をするのではなく、地域全体の中で利用者を支えている実感がある」——この感覚が、仕事のやりがいを大きく高めています。
こうした地域連携の取り組みは、採用面でもプラスに働きます。求人情報に「地域の行事に参加」「小学校との交流プログラム」といった活動を掲載すると、「単なる介護の仕事ではなく、地域づくりに関われる」という点に魅力を感じて応募してくる人がいる。特にUターン・Iターン希望者には響くポイントです。
介護・福祉の「価値」を経営の言葉で語る
介護・福祉業界の採用が難しい理由のひとつに、「仕事の価値が社会から十分に評価されていない」という問題があります。
これに対して、「介護は尊い仕事だ」と訴えるだけでは、状況は変わりません。仕事の価値を「経営の言葉」で語ることが必要です。
たとえば、こんな数字を採用メッセージに含めてみてください。「当施設の利用者は○名。その方々の生活を支えることで、年間○億円の介護報酬を地域経済に還流させています」「当施設の雇用人数は○名。東北の雇用創出に直接貢献しています」「当施設の離職率は業界平均の半分。スタッフが長く働ける環境を整えています」。
仕事の社会的意義を「数字」で示すこと。これは、介護・福祉を「大変な仕事」ではなく「社会を支える事業」として再定義する作業です。
山形のある社会福祉法人では、年1回の事業報告会で、「私たちの事業がどれだけの社会的価値を生み出しているか」を数字とストーリーで発表しています。「今年、私たちが支えた利用者は○名。その家族を含めると○名の生活に関わった」「スタッフの資格取得者が○名増え、ケアの質が○%向上した」——こうした報告が、スタッフの仕事への誇りを高め、定着率の向上に寄与しています。
「一人で抱えない」仕組みが、人を守る
介護・福祉の現場で特に問題になるのが、精神的な負担の大きさです。利用者の死、家族からのクレーム、自分のケアが正しかったのかという迷い——こうした精神的な重荷を、一人で抱え込んでしまうスタッフが多い。
レジリエントな施設は、この「一人で抱えない」仕組みを意識的に作っています。
仙台のある介護施設では、「振り返りカンファレンス」を週1回実施しています。その週に起きた困難事例や、スタッフが感情的に辛かった出来事を、チームで共有し、一緒に振り返る場です。
重要なのは、この場が「ダメ出しの場」ではなく、「支え合いの場」であること。「あのとき辛かったね」「自分も同じ経験がある」——こうした共感のやりとりが、スタッフの精神的な回復力を高めています。
この仕組みを導入してから、メンタル不調による休職者がゼロになった。1名の休職者が出た場合の代替人員確保コスト(派遣スタッフの利用)は月額約40万円。年間に換算すると数百万円のコスト削減効果です。
まとめ——「選ばれる職場」は、人事の仕組みで作れる
東北の介護・福祉施設が「選ばれる職場」になるためには、待遇改善だけでは足りません。管理職の質を高める。キャリアパスを見える化する。業務負荷を平準化する。ICTで間接業務を減らす。地域とのつながりを魅力にする。仕事の価値を数字で語る。一人で抱えない仕組みを作る。
どれも特別なことではありません。でも、これらを「仕組み」として継続的に運用することが、「選ばれる職場」を作る力になります。
東北の介護・福祉施設には、地域に根ざした温かさがあります。その温かさを、人事の仕組みで支える。それが、これからの東北の介護を担う人材を惹きつけ、育て、定着させる道筋です。
もし「介護・福祉施設の人事を含め、経営に貢献する人事の力を高めたい」と感じたなら、人事のプロ実践講座への参加を検討してみてください。
また、介護・福祉の人事に取り組む仲間とつながりたい方は、人事図書館へ。
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